卒業後の就職先は別の家電メーカーでお世話になる。
新入社員全体の集合研修さらにコンピュータ要員対象の研修を経て配属されたはEDP(電子計算機利用の事務管理)部門でしたネ。
紙テープに穿孔されたプログラムで制御された伝発機(伝票発行機)で営業部門向け商品の売上伝票・資材部門向けの発注納入伝票・サービス部門向けの補修伝票などのデータを当時はIBMの80欄紙カードにパンチングし更に分類機(ソーター)なる如何にもハードウェアらしき紙カードデータの分類作業・・・今頃はデータの分類作業はコマンドやボタンで一発!便利に進化したソート機能です。
当時は何度もあった分類機(ソーター)のメンテナンス?作業も・・・
読み取り部分を流れる紙カードが詰まったり、穿孔された孔を通してブラシ(刷毛)で読み取る仕組みのハズが異常発生・・・分類機の掃除や調整作業ナリ。
さて紙テープにデータ化された一日・半月・一月間のデータはジュラルミン製のケースに収納して長期契約のタクシーに来てもらって社内の大型計算センターへ届けてもらってました。
翌朝、処理済みのレポートが届くと必要な部数を複写して各部門へ届け、また当日の発生データを作成して行く日常のルーチンワークでしたネ。 更には営業・経理・資材・サービス部門の締切・決算に併せての半月・月単位の締めデータを頑張って用意して計算機処理時間帯を計算センターと調整することに・・
今、所有し使用の一般的なパソコンのざっと100分の1位の主メモリ容量の汎用計算機でしたが計算センター配下の複数の事業部からの集中処理依頼に対応する訳だから切羽詰まった雰囲気でしたネ。
折しもオイルショックで紙材料の不足が懸念された前後の頃。照明削減、ノーカーボン伝票・用紙の普及など時代要請も・・有ったのかな
今の時代、ごく当たり前になるも意外と早くから給与振込みとなりキャッシュカードの利用も・・僅かな昼休みに離れた場所の銀行で引き出せた瞬間は不思議な感覚に。懐かしきかな?
懐かしさと言えば、月々の各部門のデータ源の準備遅れや計算機センターの処理能力も有って通常はタクシーに搬送配達を願うも毎月数日間は遅くなってタクシーでセンターへ持込・簡単なデータチェック処理結果(プルーフリスト)を確認出来てから待たせていたタクシーで深夜に帰宅することに。
また当時は労働争議の最も華々しい?激しい?時代。
入社して間もない労働組合のメンバーで有りながら、データ準備に追われた際は参加出来ず薄いカーテン越しに気勢をあげる組合集会を知ってか知らず(勿論、欠かせない日常データ作業故か労使での暗黙の了解??)、カーテンで仕切られたスペースで一人作業を続けたり・・
その後、ソフト開発現場は見聞きしたり研修受けたり・・